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アイドルは儚いものなので

ジャニーズ(主にJr.)を部外者が真剣に考えるブログ

Jr.担は“明日”が怖い

Jr.を担当にする恐怖は、想像するだけで恐ろしいし体験してみればもっと空しい。普段は特段思い返したりしないのだけど、なにかの拍子にふと自分が「自担が事務所を辞めた経験のあるJr.担」であることを思い出すことがある。

 

大好きだった人が急に表舞台から姿を消した。*1もともと毎月少年倶楽部や雑誌に出られていたわけでもないし、見る機会が減っても「最近仕事ないな」くらいに留めていた。しかしそんな時期が長くなってくると違和感に気づき始め、そのうちゆっくりと不安が溜まっていく。いつから見てないだろうか、最近なにか変ったことはあっただろうか。同じグループのメンバー二人は毎日舞台に出ているのに、ほかの自担含む三人の動向が一切わからなかった。

そしてその日は突然。同じグループのメンバー二人がtwitterを開始する。「退所」だった。同じグループのメンバーでかたや二人は舞台に出続けているというのに、かたや二人はtwitterで新しい仲間と新しいグループを組んで活動していくことを発表した。そして肝心の自担だけは、相変わらず表舞台にもネット社会にも顔を出さずに沈黙を守っていた。何が起きてるのか整理できない。どうして自担だけ消息が掴めないのか。自担はどこで何してるの?辞めたなら辞めたでいいからあの二人のようにたった一言だけでもいいからどこかで「辞めました」と発信してほしかった。可能性のほとんどなくなった状況でもバカみたいに「実はまだ辞めてなかったりして」なんて希望を捨てきれず、そんな自分が情けなくて虚しかった。

そのうち時間が経てば経つほど退所していることは疑えなくなってきて、気持ちが少しずつ変わってくる。退所上等、なんなら音楽を辞めていてもいいし結婚していてもいいから、とにかく今も元気にしているか知りたい。だってこれじゃあ、私が何よりも誰よりも憧れる一番大切な人が、生きてるのか死んでるのかすら分からない。重い病気にかかってたらどうしよう。事故に遭っていたらどうしよう。もう一生、彼の生存を確かめることが出来なかったらどうしよう。そんな深い不安に包まれた時間は一年以上も続いた。

 

彼の誕生日、Twitterに彼が現れた。紛れもなく彼だった。空白の一年間は彼の「禊」だった。自分の、ファンの、仲間の気持ちを清算する為に、今までの自分に区切りをつけて、ファンに胸を張って報告できる新たな一歩が踏み出せるまでの「禊」。私が彼のツイートに泣いてしまったのは、彼がジャニーズを辞めたからではない。彼が生きていることが証明されたからだった。

彼の初ライブで約二年ぶりに彼を生で観ることができて、私は涙が止まらなかった。自担が生きてそこにいることが、ステージに立っていることが、こんなに尊いとは思わなかった。そしてその後、彼は新しい仲間とともにCDを発売する。泣いているのか疑うほど瞳をキラキラと輝かせて彼が言った。

「今の時代、CDを作るだけなら誰でも簡単に作れる。でも俺にとっては簡単なんかじゃなくて…“CDを出す”ってすごいことなんだよ。他のアーティストさんにとってはそうじゃなくても、俺にとっては13年かけてやっと叶えられる夢なんだ。本っっ当に嬉しい!!みんな本当にありがとう!!」

ジャニーズに入所してから11年半、ずっとずっと夢だったこと。ジャニーズをを辞めてから一年半、それでも諦められなかったこと。絶対に絶対に彼を応援し続けようと心に誓った。

 

私はアイドルが好きで“ジャニーズ”が好きだ。ジャニーズじゃなかったら今の担当も、もちろん前述の元担のことも好きにならなかったと思う。しかしジャニーズを去った先の人生でもその人は私が好きになったその人で在り続けるし、ジャニーズの枠の中で必死に頑張っていた気概や魂のようなものは、ジャニーズの枠を出ても変わらずにその人の魅力として輝き続ける。

タレントがジャニーズを去ってしまえば、ジャニヲタの目線からは“終了”以外の何物でもないかもしれない。しかしそれは本人の新しい人生の“始まり”でもある。応援しよう。大好きな人の新しい人生がたくさんの幸せで溢れるように、願うだけじゃなくて、精一杯、声の限り、アナタを応援していると叫ぼう。

 

結論は特にないのだけど、そんな風に元担が事務所を退所したときのことを思い出した。退所の際の公式通告がないシステムはJr.担には苦しみと不安しか与えない。池田くんの、池田くんの担当さんの、不安な気持ちが一日でも早く前を向きますように。

 

*1:ジャニーズ事務所ではCD及びDVDでデビューを果たしていないJr.の入退所は公式に発表されず、公式サイト等から名前が消えたり本人がSNSを開始したりするのを見てファンは退所を悟るのが慣習になっている