アイドルは儚いものなので

ご多忙ごきげんOL

担当が事務所を辞めるので絶望して16年間続けたヲタクを辞めて、行き場のなくなった愛情を初めての「自分から好きだと思える恋人」に注いだら見事に浮気相手にされていてマジクソ踏んだり蹴ったりだった平成最後の3ヶ月の感想

いやぁ、近頃の私は怒涛だった。まだ今も渦中にいるのだけど、とりあえず一旦落ち着くためにも過去形にして文字に起こしている。この数ヶ月、今までの人生で何度チャンスがあろうとも頑なに採らなかった行動や選択を積極的に選んで動いてきた。結論から言ってしまえば「慣れないことはするもんじゃない」を痛みを伴って身を以て学習する機会だった。

10歳から16年間、ジャニーズとともに生きてきた。どの年にもジャニヲタとしての思い出があり、自分年表のほとんどはジャニヲタ年表に枠を取られていた。自担が好きで大好きでたまらないような恋でもあったし、こんな大人になりたいこんな考え方ができる人になりたいと憧れでもあったし、夢への道を諦めない姿に強く共感もしたし、生き方や言動に学びを得るほどの尊敬もあった。人格や自我や価値観を形成していく年頃を、ずっとジャニーズの影響を強く受けて過ごしてきた私にとって、それはもはやひとつのアイデンティティーのようでもあった。そんな私の心の一角のようなジャニーズが、私の愛する自担を追い詰めてしまった。芸能界のブラックボックスだと思ってしまうようなところで何かが起きていて、ファンは何が起きたのか確かな事実を知ることはできなかったけれど、“円満退所”に至るまでに自担が悔しい、理不尽な思いをさせられたであろうことが想像できた。アイデンティティーとさえ思ったジャニーズと世界一敬愛する自担の、どちらの味方だと宣言することもできず、むしろできないことが苦しくて、私はその土俵から降りる選択をした。ジャニヲタ人生16年、何度も悲しくなったり裏切られたように感じたり、時に達成感に浸ったり、もう私には必要がないと思う時期すらあったけれど、結局一度も手に取らなかった「ヲタ卒」という道を、とうとう選んだ。そこに踏ん切りや強い決意などなく、自然に、苦しみから自由になるために、他に選択肢などない一本道のように、16年目にして初めてヲタ卒を選んだ。

ジャニーズしかない人間からジャニーズを引くと、仕事も友達もお金も時間も残るけれど、「好き!!」と思うことがなくなる。失ってから痛感した、「好き!!」「ときめく!!」「会いたい!!」「愛してる!!」「大好き!!」って感情って、多分全ての中で一番ポジティブでパワフルでエネルギッシュで、良く生きることに直結している。今まで16年間ずっとジャニーズがあったから、先に挙げた衝動的な感情はジャニーズに向ければ良いので、現実ではとてもシビアで冷静な視点で恋愛ができていた。もっと言うと恋愛なんてしたことがなかった(すごい陳腐な表現で恥ずかしい、思春期かよ)。共学の高校・大学にと進学して、男女比同じくらいのそこそこ大きいサークルにも入って楽しんで、バイト先でも充実した人間関係、人並みより少し多いくらいの交際人数を重ねたし、キャバクラでの仕事のおかげで出会いの数だけなら同世代の何十倍だったはず。でも“好きな人”がいたのって中学生が最後だった。そういう人、きっと多いと思う。そんな私が中学生ぶりに思ってしまった。「好き」「ときめく」「会いたい」「大好き」。何がそうさせたのか分からないが、とにかくその感情だけで衝動的に決めてしまった。今までの人生ちょうどいい適当な人と安全万策な受身の、恋愛とも言えないような男性関係しか選んでこなかった私が、“どう考えても絶対に危ない男”に、私の10年ぶりの「好き」を全部差し出すことに決めてしまったのだ。その結果私は今、毎日彼への怒りと悲しみで震えながら、「でも好き」なんて馬鹿げた泣き言で堂々巡りを繰り返している。

 


ジャニーズを好きなまま、こんな人を選ばない、今まで通りの私でいればよかった、と思う。

彼の「君と付き合いたいから彼女と別れてきた」は嘘だったし、友人にお金を借りて督促されてもなお返済しないし、コンドームが嫌いで絶対につけない。私とは常に割り勘だけど彼女にはプレゼントを買っている。SixTONESはメジャーになって、Snow Manを個人活動で見かけて、なにわ男子がドラマに出ていた。チャンネルを変えたり席を立つ様子を家族に気遣われたり、駅中に貼られた広告を見ないために俯いて階段を降りたり、「キンプリの永瀬廉くん」とかフルネームで呼んでみたりして日々を過ごしている。

 


16年間の私の全力の「好き」が一方通行で、届いてる気になってそれだけで満足できていたことを知った。幸せなやつだなあ、過去の私。平成生まれ平成育ち、その人生のずっとを「好き!!」「ときめく!!」「会いたい!!」「大好き!!」だけで乗り越えてこられた。それってすごくラッキーだったと思う。幸せだったと思う。けど、今のこの、色んな意味でイタい私も、人生の中で必要かもしれないってちょっとだけ思う。これまで選んでこなかった分を畳み掛けるように選んでいる今の私。自分らしくない未知のことばかりで、なにが正しいのかも全く分からない中で、分からないよ、でもこうしたいああしたい、って、主体的に能動的に選んでいるような気がする。新しいことをしたり過去の惰性から離れる動きはとても痛みを伴うことだ。という発見があった。出来れば痛くない道が良かったなあ。

最近ほんとうにドン底のような気分だったけど、この記事を書いていたら少し前向きになってきた。記事書いたくらいじゃこれっぽっちも解決しないけど、なーんだやりたいことやってるやんけ私、とは思えてきたんだよ。とりあえず今から彼氏に返信をして、LINEの通知をオフにして今日こそぐっすり寝よう。迷うだろうけどできるだけ迷わずに、苦しいだろうけどできるだけ明るく楽しく、積極的に選んでいきたい。そういう気分で始めるよ。よろしく令和。