アイドルは儚いものなので

ご多忙ごきげんOL

抜毛症だけど人生たのしい

あーやばい、またやってしまった。自分の髪の毛を握りしめて溜息をついて、情けない気持ちになる。なんだかなぁ。私は『抜毛症』という病気と付き合ってもう17年になる。

抜毛症(ばつもうしょう、Trichotillomania、トリコチロマニア)とは、正常な毛を引き抜いてしまう性癖によって脱毛斑が出現する精神障害。抜毛癖(ばつもうへき)とも呼ばれる。

Wikipediaより

よく脱毛症と間違えられるけれど、抜けてしまうのではなく、抜いてしまう、精神障害自傷行為のひとつでもある。基本的にストレスや不安が主な原因とされている。

発症したのは10歳のときで、思春期の女の子あるある「グループ内で順番に仲間外れにしていく」伝統芸能的ないじめが始まった頃だった。トリコチロマニア自体、思春期の女の子に多く見られる病気でもある。私の場合、多くは寝ている間に自覚症状なく髪を抜いているパターン。朝起きて枕元に散らばっている大量の髪を見て「そういえば抜いた気がする…」とうっすらとした記憶はあって、どうやら眠りの浅い時間帯に髪を抜いているようだった。同時期に指しゃぶりも再発させていて、右手で指しゃぶり・左手で髪を抜く、というスタイルが確立されていた。赤ちゃん返りとトリコチロマニアを併発させるなんて、相当なストレスだったんだろうな〜!!

それから17年、いじめもなく落ち着いた楽しい日々には髪の毛を抜かなくなったり、クラス替えの前や受験の時期には毎日大量の髪の毛をゴミ箱に捨てたり、環境や心の状態によってその症状の緩急はあれど27歳現在まで17年間ずっとトリコチロマニアと付き合い続けてきた。この17年で色んなことがあって、整理できないので箇条書きで雑な年表にしていく。

 

〜小学生時代〜

・髪を抜くと親にめちゃくちゃ怒られる→余計にストレスで髪を抜く という負のループ

・頭の一部が禿げているのが恥ずかしくてヘアバンド等をして学校に行く→いじられはしないが、たまに「みいはヘアバンドしてるから〜」と会話の中で言われるだけで胃が痛くなるような恥ずかしさと情けなさで髪を抜く という負のループ

・仲の良い友達には病気のことを言っていて(いじられる前に自分から言うことで自衛しているつもりだった)みんなも理解してくれていたが、陰で「ちょっと気持ち悪いよね」と言われていると知ってへこむ。と同時に「わかる。気持ち悪いよね。私もそう思う。それなのに仲良くしてくれて申し訳ない」と自己否定感が育つ

・親に皮膚科へ連れて行かれ、トリコチロマニアという病名で精神系の病気だからそちらへと言われる

・親がトリコチロマニアを理解しない(当時は今ほどネットが発達しておらず、調べる術が少なかった)→心療内科れ連れて行ってもらえず(当時は今ほど鬱などの精神的な病気が世間的に知られていなくて、特に親世代は気合いや努力で解決すると思っていた)寝るときに両手を縛る・ベッドの枠に手を縛り付ける 等、親が色々策を講じて手を尽くしてくれる(のちの21〜22歳頃に鬱になって心療内科でカウンセリングを受けた際にこの体験が自分にとって『被虐待』の体験だったと知る)が、それが苦痛で余計髪を抜く という負のループ

〜中学生時代〜

・好きな髪型にできない。おしゃれを諦める

・恋愛を諦める

・普段はなんとなく隠せていても濡れると露骨に顕れるので、プールの授業が地獄

・汗をかくので部活が地獄

・カメラ付き携帯電話の普及やプリクラの文化で、更に容姿への劣等感が進む→ストレスで髪を抜く という負のループ

・部活を引退してから症状が緩和する

・高校受験期に症状が再燃する

・少し開き直り始める

・友人も精神的に成熟し始めるので、小学生時代のように心無い言葉を受けることがなくなる。フォローしてくれたり、見て見ぬ振りをしてくれる。

〜高校時代〜

・恋愛を諦めたくないと思う

・本格的に治したいと思う

・親の理解がないことに苦しむ(小中学生の頃は親の言うことは絶対だったけど、この頃には病気に対する親の認識が誤っていることなど分かる)

・容姿に気を遣うようになり、まず爪を噛む癖が治る

・髪を抜くことも減る

・嫌なことがあったときは髪抜いてたけど、隠せないほど大きな禿げはできなくなる。結んでしまえばOK!

・ということで高い位置で結ぶ必要があった為、高校3年間ほとんどお団子ヘアで過ごす(校則で禁止されているので、先生方には病気を告白する必要があったし、事情を知らない他学年の先生に怒鳴られたりもした)

・受験期が近づき、再発が怖くてビビっていたらその不安がストレスになり再発する

・しかし実際受験期になるとそんなに症状は進行せず

・そうは言っても見れば分かるものなので友人たちには自発的に伝えていた

・人前で髪を下ろせない→お泊まりができない→恋愛を諦める

〜大学時代〜

・禿げの面積が狭くなり、ハーフアップで大丈夫になる。大学4年間ほぼずっとハーフアップ

・流行りの髪型にできない→おしゃれができない→おしゃれに興味を持つのすら恥ずかしい、情けない

・髪を抜く行為に罪悪感を持つとそれがストレスになりまた抜いてしまう、と分かっていたので、髪を抜くことを少し許容してみる→症状緩和

・鬱で心療内科にかかり、自分のこころと向き合う→症状緩和

・キャバ嬢になり、ヘアメイクさんがヘアセットしてくれるように。「私、禿げてるから、可愛い髪型にできませんよね」と自虐したら「そんなことない」と憧れの髪型にしてくれる→目が開いたというか、人生が変わったというか、私も可愛くなっていいんだと思えて泣けた

〜キャバ嬢時代〜

・精神的に波があり、症状にも波が出る

・容姿を売る側面が強いため、髪を抜きすぎてしまうと「誰かに指摘されるのでは」「バレたら終わりだ」と不安で出勤できなかった

・夜眠らなくなるため髪を抜く機会が減る

・トリコチロマニアを発症して初めて、つまり12年ぶりに髪を下ろして外を歩けるまでに回復する

・症状は緩やかに続く

〜会社員現在〜

・髪を下ろして過ごす

・プール、温泉、お泊まり、ドンとこい!

・繁忙期やプライベートで揉め事がある時期は禿げができる

・髪を抜いても気にしない

・会社で禿げがバレて陰口されても気にしない

・気にしたらまた負のループに陥るので気にしたら負け。今日少し禿げてもほっとけば髪はすぐ生えてくるので大丈夫

・(本当は気にしてるけど気にしたところでどうにもならないので、落ち込みすぎない。甘いもの食べて寝る。髪を抜いてしまうのが不安なら、その日は寝ない)

・高校大学時代のハゲ隠しヘアアレンジのお陰でヘアアレンジが得意

・美容院が怖くなくなる

・おしゃれ楽しい

 

完治はしないと思っている。一生付き合っていくつもりで、できるだけ症状がでないように、できるだけ自分に負担がかからないようにやっていく。そういう考え方ができるようになってからかなり楽になったし、実際症状が緩和し、人生が楽しくなった。冒頭に書いたように、実は昨日かなりたくさん髪の毛を抜いてしまって久々に誰の目にも明らかな“ハゲ”ができてしまって自己嫌悪していたんだけど、こう書いていたら少し心が落ち着いて自分を許せてきた。ダイエットでの「普段頑張っている人が、たまには自分を甘やかして一食ジャンキーなものや甘いものをどか食いするときがある。前後3日で調整すればOK!それはある種、ストレスなく長くダイエットを続けるために必要な休憩」という考え方を知って、私のトリコチロマニア治療も同じようなものだと思ってる。昨日やってしまっても、今日からまた頑張ればいい。

この病気に完治はなくて、確実な治療法もなくて、個人それぞれの「落としどころ」を見つけてそこに歩み寄ることが最善なのではと私は思っている。そう思えるようになるまでかなり長い時間がかかった。年齢と経験を重ねたからこそ辿り着いた考え方だから、きっと子供の頃に大人からそう言われても納得できなかっただろうなぁ。大丈夫、大丈夫。仕方ないことへの後悔や自己嫌悪に時間を使わない。覆水盆に返らず、抜いた髪頭皮に戻らず。しいていうなら、トリコチロマニアのおかげで自分を嫌って蔑んで勝手に諦めて、味わえなかったキラキラの青春が惜しいけれど、それももう仕方ないこと。今、毎日を明るく過ごすことの方がずっとずっと大切で、くさらずへこたれず明るくハッピーで健康的なひとでありたい。