アイドルは儚いものなので

ご多忙ごきげんOL

2020年で一番自分らしかった日の思い出

 今年の夏、旅行の約束の前日に彼氏に振られ、2泊3日京都旅行のために取得していた休日を、土地勘のない神奈川で自暴自棄になって過ごした。

終電で横浜へ行き、まさに飲み終わって帰ろうとしていた横浜支店・厚木支店の同僚を探し出し無理やり引き留め、日の出の前まで酒を煽った。私以外は翌日も仕事だというのに、泣き腫らした顔でやってきて「振られました」と酒を飲み倒す私を見て、みんなが付き合ってくれた。同僚がその場で横浜のホテルを取ってくれて(これ以上私と飲みたくなかったんだと思う。すごく悪い酔い方をしていた)肩を支えられながら歩いた橋の上では人生で一番下品な下ネタを話したし(未だにこの一件で強請られる)、翌日昼前に起きたときの虚無感は忘れられない。何もやることがなくなってしまった。ほんとうは旅行にいくはずだった。今頃、新幹線に乗っていたはずだった。パンパンに浮腫んだ顔に気持ちばかりの化粧水と乳液だけ叩いて、大した化粧もせずにとりあえずふらふら横浜駅へ向かった。前日に私を横浜へ呼んでくれた・翌日の仕事に構わず3時半まで付き合ってくれた同僚から「大丈夫か」とLINEがきていたので、「せっかくだからお昼は中華街で食べようと思う」と返事。予定を失った空白の三日間が始まってしまっていた。

中華街の入り口がわからなくて、かなりウロウロした。有名店もわからないし、自分が何を食べたいのかもよく分からない。おそらくビュッフェ形式のお店に行列ができていて気になったけれど、一人でそんなに食べられないと思って横を通り過ぎる。倒れてしまいそうなほど暑い夏の、日陰もない正午の中華街を、昼食を決められずにひたすらウロウロと歩いた。食欲がない、なんならカフェでアイスコーヒーが飲みたい。そんな気持ちをグッと堪えて、行列でもなく閑散ともしていない、一人でも入りやすそうな定食屋さんの戸を開けた。店先にランチメニューが置いてあって、量と価格帯が推察できたからだ。ひとりでは冒険ができない。ふたりだったら、ビュッフェにも行列にも、どこにだって、面白そうだねって言って足を踏み入れることができたはずだった。量が多くて残してしまうんじゃないかとか、一人ランチができる雰囲気なのかどうかとか、メニューが中国語で読めなかったらどうしようとか、しょうもない不安に負けてせっかくの横浜中華街ランチを楽しみきれていないことが悔しかった。このとき食べたエビチリ定食を、彩度をあげてスタンプをこだわって絶賛休み楽しんでますというニュアンスでインスタのストーリーに載せたのは、惨めだったなぁと今になって沁みる。

食事を終えてまた目的がなくなってしまい、太陽の下をウロウロする。見たくもないお土産屋さんに入ってエアコンに涼む。どうしたらいいんだろうか。横浜駅を目指すけれどよく道がわからなくて、何度も同じタピオカ屋の前を通った。「占い、当たるよ、お姉さん、占い、やっていく?」いかにも怪しげなカタコトの誘いを習慣的に無視したけれど、2〜3歩進んで立ち止まった。やることはない、時間はある。時間を潰せるなら何でもよかった。「すみません、占い、お願いします。」人生で初めての占いを受けることにした。

生年月日と名前をベースに、手相はつけるかと聞かれたので、付けてもらった。何をメインでやりますか?恋愛?仕事?全体運?何も考えずに飛び込んだから、とりあえず全体運と答える。占い師さんが何かを計算している間、沈黙を埋めるために頼まれてもいないのに口が動く。へらへらと自虐して気まずさを埋めるのはもはや癖だった。「実は一昨日彼氏に振られて。なんか、やることなくってこのお店に入ったんですけど」占い師さんが即座に顔を上げ、気まずそうな申し訳なさそうな目を向けてくれる。「彼氏さんの生年月日も見ますか?」「いいえ。結構です」頭で考える前に断りの言葉が出ていて驚く。傷心のふりをしているけれど案外、頭は切り替えができているのかもしれない。また手元の紙に視線を戻してペンを動かし始めた占い師さんのつむじを見ながら、未練のミの字も感じさせなかった自分が少し誇らしかった。

鑑定が始まる。「つらいひとですね。20歳かな、いや、21歳あたりからドーンと人生が落ち込んだでしょう。そういう時期に入って、そのままずっと、30歳までなかなかに辛い人生です」おっと。当時27歳の私、だとすると不幸真っ只中では。「頑張っていますね。よく耐えていますね。大丈夫、30歳までよ。21歳が一番つらくて、そこから徐々に徐々に上向きになっていくけれどやっぱり踏ん張らなければならない。30歳まで頑張って。31歳になったら突然視界が開けるように、一気に幸せになれるから」そうなのか。このやり取りでかなり信じてしまった。なぜなら私は21歳の頃、確かにうつになって人生をやめてしまいたいと思うほど自分を大事にできなくなっていたからだ。そこから少しずつ価値観を変えて生き方を修正して、今の自分は前々日に彼氏に振られたことを加味しても充分に幸せだった。仕事があって友達がいて家族がいて、食べるものも住むものも困っていない。これ以上の幸せはないと思えていた。「今でも私、幸せだと思うんですが、31歳になったらもっと幸せになれるってことですか」占い師さんの口ぶりだと私は31歳でやっと、他の人が普通に感じている『幸せ』の程度まで追いつくようだった。じゃあみんなは日常的に私よりずっと幸せってこと?正直、そんな幸せは想像の範疇をこえてしまっていて現実味がなかった。ただ、明るい未来を約束されたように思えて心が助かったのは確かだ。

占い師さんは他にも「熱し易く冷め易い」「どんどん外に出ていくタイプ、じっとしてるのは苦手」「頭は悪い」「喜怒哀楽が激しい」「仕事が好きで頑張れる。出産しても辞めない」「切り替えが早い」「他人を疑わない」「恋愛は年上の落ち着いた人としろ」「読書か運動をしろ」など、私の性質を当てながらアドバイスをくれた。忘れないようにとインスタのストーリーにメモがわりの投稿をしながら、横浜駅へ向かった。さあ次は何をしよう。またやることがなくなった。やることがなくなると彼氏を思い出してしまう。彼も神奈川出身で、いまだに地元の友達と仲が良く集まっている。デートの誘いを「地元の友達とBBQするから」と断られたことがあったっけ。場所はそう、「茅ヶ崎でBBQするから」。茅ヶ崎だ、茅ヶ崎に行こう。

同僚に今度は「茅ヶ崎に向かう」と伝えると、「入水自殺か」と心配とからかいの混ざった返事がきた。そして「茅ヶ崎ならサザンを聴きながら泣いたらいい」と夏歌リストを送ってきた。イヤフォンを家に忘れなら買えとまで言う。仕方なく今度は横浜の駅前を歩き回った。ヤマダ電機があるそうだけど見つけ出せずににうろつく。駅直結のファッションビルにアパレルショップがたくさん入っていて賑やかで、足を止めた。ずっと麦わら帽子がほしいけれど使用頻度が低くてコスパが悪いから買ったことがないと言ったら、絶対似合うと思う!と彼氏が即答したことがあった。普段あまり褒めてくれない彼の、似合うと思う、という言葉は、可愛い、と言われるのと同義だとポジティブに解釈して分かりやすく浮かれたりしたなあ。うれしかったなぁ。思い出に突き動かされ、目線を少し上げて、マネキンの頭、商品棚の一番上にポジションを定める。麦わら帽子を探さなきゃ。

 

 茅ヶ崎駅は思ったより小さかった。地元の人が多く、天候も時間も相まって海水浴客はほとんどいない。茅ヶ崎駅から海までバスで行くかタクシーで行くか決めかねながら、ひとまず海とは逆側の北口へ出てイトーヨーカドーへ向かった。風がとても強く、太陽も雲に隠れている。こんな日にわざわざ海の町を麦わら帽子をかぶって飛ばされないように片手で押さえて歩く私はどれだけ間抜けな様子だろう。イトーヨーカドーでイヤフォンを購入し、とうとう装備を整えた。駅へ戻り、また悩む。使い慣れていないバスは路線の見方もよく分からず、かといってタクシーに乗ってしまうとすぐに着きすぎてしまうのではないか。時間を持て余すのが怖かった。合っているのかわからないバス乗り場のベンチに座り、ぼーっと駅前の街を見ていた。駅から出てくる人、駅へ入って行く人、人がたくさんいる。その一人一人をぼんやり見流す。秘密だけれど、誰にも言っていないけど、まだ自分自身でも認めてはいないけれど、そこにそうして座ってたくさんの人の流れの中で、万が一にでも彼氏に遭遇することを期待していたのだ。馬鹿で阿呆で間抜けで痛々しい私。

バスがサザンビーチ入口の停留所に停車したが、降りたのは私だけだった。埼玉出身で日焼けが嫌い、海に馴染みのない私は、広がる水平線を前に不安な気持ちになり足を止めた。何しにきたんだっけ……。大学生がビーチサッカーをしていたり、犬の散歩をする地元の人、家族連れの笑う声、ビーチヨガの集団。砂浜に合わせてゆっくり足を進めながら、どこを目指すか困惑した。海との距離感がわからない。砂浜のどの位置で足を止めたらいいのかわからない。ぐんぐんと進んで堤防へ登った。まだ足を止めない。どんどん奥へ。とうとう、堤防の一番先へと着いてしまった。この広いビーチで誰よりも海の奥にいる。波の音も水しぶきも凄まじかった。堤防の端に座って脚をぶらんと垂れ下げて、視界に海しかないような状態に私は怯えた。めっちゃ孤独…!

 

BGMをサザンにはできなかった。馴染みがなさすぎて居心地が悪いのだ。いつものプレイリストをかけ、高波に呑まれて濡れてしまった脚を揺らす。強風に煽られる麦わら帽子を相変わらず片手で抑える。強風でめくれるワンピースの裾をもう片方の手で守る。私は一人でなにをしているんだろうか。耳に流れる音楽が変わった。

幸せとは 星が降る夜と眩しい朝が 繰り返すようなものじゃなく 大切な人に降りかかった雨に傘をさせることだ

backnumberの『瞬き』という曲だけど、これは付き合う前に彼がカラオケで歌った曲でもある。ちゃんと聴いててね!と言いながら彼がこの曲を入れて、彼の友人が女を落とすときの十八番!とチャチャを入れて、私はこの曲大好き!とかわいこぶりっこで声を上げた。目を合わせて、彼が私のために歌った曲だった。

 

あー………間抜けすぎる。

 

堤防に倒れこみ、気持ちいいほど清々しくて笑った。この感傷に浸ってるかんじがすっごく間抜けで痛々しくて、私の求めていたものだった。友達や知り合いは私のこういう、痛々しくて惨めで格好悪くて間抜けなことをするところを馬鹿にするし、思いつきで自由に行動してやりすぎてしまうところをときに破天荒と呼ぶけれど、そんなの全然関係ないのだ。誰にどう思われようと、これは、自分のための茅ヶ崎で自分のための麦わら帽子で自分のための『瞬き』なのだ。もっともっと浸れ!もっともっと悲しめ!そうやって、有り余った想いを精算しているのだ。

 

帰りの電車の中で、横浜支店の上司から「茅ヶ崎に行ったんだって?馬鹿じゃん」と心配のLINEがきた。「海が見たくて」と返した。翌日も地元の友達に夜の江ノ島へドライブに連れて行ってもらい、翌々日は横浜駅で散財し、夜はオシャレなビールを飲んだ。振られて泣いて酒を飲んで旅に出て、自暴自棄になってなにも厭わず過ごした3日間のおかげで、休み明けには元カレの支店からの電話をとって「お疲れ様です!」と変わらぬ私がいた。「熱しやすく冷めやすい」「切り替えが早い」ーー中華街の占い師はよく当たる。